建築や土木の既存ストックを
保存・再利用した建物のカタチ

小林 直明
小林 直明(こばやし なおあき)
大成建設株式会社 設計本部 品質管理部長 一級建築士
日本大学理工学部海洋建築工学科 非常勤講師

ライトの名建築「自由学園明日館」を動態保存※1
今を生きる建築物に完全リファイン

この建物は世界的に著名な建築家フランク・ロイド・ライト※2の設計により、1921(大正10)年に建設された木造の学校建築です。自然倒壊が心配されるほど老朽化が激しく、当時は取り壊しも検討されましたが、学校側の「自由学園の教育の発祥の場として残したい」という思いが保存に結び付き、1997年に国の重要文化財(以下、国重文)となりました。その後約3年にわたる工事を当社が手がけ、プロジェクト・リーダーとして毎日現場へ通いました。

ライトの建築物

私が設計の仕事を始めたきっかけは、1923(大正12)年にライトの設計によって建てられた帝国ホテルと出会ったからです。小学4年生の頃、父の車で日比谷を走っていた時に「あれが帝国ホテルだ」と教えられました。通過しながら一瞬見ただけでしたが、ものすごい建物だと感じ、今もあの時のカルチャーショックを忘れることができません。建物は現在、中央玄関部分が現存し、「博物館明治村」(愛知県犬山市)に移築されていますが、あのホテルがすべて現存していたなら、確実に世界遺産になっていたと私は思います。貴重な建築物を失うことは本当に残念ですから、自由学園明日館の保存・再生も、巨匠ライトのオリジナルデザインを大切にしたいと考えました。

旧帝国ホテル中央玄関

旧帝国ホテル中央玄関

国重文ということでプレッシャー

プレッシャーというよりはむしろとても楽しい仕事であり、今もこれ以上のものはないかも知れないと思っています。損傷の激しい建物を修復するため、床や壁などの部材を外して分解していったのですが、そうした現場を見るたびに、設計はこうなっていたのかと感動がありました。例えばライトは天井に高低差を付けて、空間を非常にうまくコントロールしながら、人が感激するような部屋をつくっているのです。そして内部の雰囲気が外観のデザインへ、絶妙に連動しながら豊かに広がっていきます。私は仕事を忘れ、食い入るようにディテールを観察しました。

保存・再生の方法

建物を少しずつ分解しながらディテールを調査し、詳細設計を詰めました。日本は多雨多湿の気候ですが、明日館はそのあたりが考慮されておらず、木の土台が地面に接して腐食が入っていたり、屋根は雨水を返す立ち上がりが小さいために雨漏りが発生するなどしていました。こうした細かな部分もオリジナル材で修復し、ライト建築の特徴であるプレイリーハウス※3のデザインをリファインしました。

構造面においては耐久性を高めるために鉄骨を入れ、木と鉄骨のハイブリット構造に仕上げました。その際、鉄骨は構造的に見えない箇所で補強し、オリジナル設計に忠実に近づけました。また工事を進めるなか、建物外観のモール部分が、実は私たちが見ていた茶色ではなく、建設当初は緑色だったことが判明しました。見慣れた茶色か、元の緑色へ戻すか。有識者の間で意見は分かれましたが、最終的には国重文のため文化庁が緑色と決断し、往時の明るい佇まいや大正時代の雰囲気が色鮮やかに蘇りました。

明日館はいわゆる「動態保存」を目指していました。そのため明日館を運用するためのバック施設として、RC構造の付属棟を背後に3棟配置しました。これら新館は目立ちませんが、それは高さを抑え材質も質素にし、「あえて目立たない存在」という意図をもって建てたからなのです。見る側が存在を意識しないということは、主役である明日館とうまく調和しているということです。明日館は見学可能な施設で、現在も多くの建築ファンが訪れています。皆さんにもぜひ足を運んでいただき、巨匠ライトの世界観や、当社のプロジェクトの成果を楽しんでほしいと思います。

のびやかな開放感が漂うプレイリーハウスの自由学園明日館(三輪晃久写真研究所)

のびやかな開放感が漂うプレイリーハウスの自由学園明日館(三輪晃久写真研究所)

これからの時代が必要とするであろう
既存ストックを使った効率的なビル再生

建築好きな人に有名なのは「大手町野村ビル」ですね。これは1932(昭和7)年の建築で、大隈記念講堂などを手がけた佐藤功一氏の設計です。建築学会では保存すべき重要な建築物としていましたが、時代を経た建物ゆえに、空調ひとつ取っても効率の悪さが際立っていました。そこで当時社会で高い評価を得ていた外壁の意匠を、新しいビルに継承する「形態保存」を下層階で行い、超高層ビルに建て直したのです。歴史ある建物を保存し、オフィスビルとして効率よく使い続けるには、こうした方法も有効であると考えます。

日本はこの先、2020年までは新築工事が多数あるかも知れません。しかし人口減少や高齢化が進めば、建築や土木の既存ストックを再利用するほうが、効率的であると考える時代がくると思います。そうした分野の技術が深化すれば、次代に遺したい建築物も違ったカタチで蘇るかも知れません。

建築と土木の隙間を埋めることが
海洋建築に携わる私たちのやるべきこと!

被災地復興支援の一環として、岩手県宮古市田老地区をモデルに防災ビジョンや技術提案をまとめ、「東日本大震災復興都市モデル計画」として2011年5月に記者発表しました。この計画の理念は「津波をかわして、逃げ切れる復興まちづくり」というものです。ただ震災から4年半が過ぎた今、被災地では高台移転をはじめ、低地や防潮堤の嵩上げなど「更なる防御での復興」が進み、われわれの“津波をかわす”考えとは違うものになっています。各自治体との打ち合わせに臨むと、被災地行政のご苦労も理解でき、復興事業の難しさを痛感します。そうした状況ですが、私たちは確固たる理念をもち、引き続き東南海地方への提案もおこなっています。
こうした経験を通して私が皆さんに伝えたいのは、産学連携の重要さです。被災地への復興提案は、建設会社の設計部が行政側へアプローチをかけても、まったく相手にしてもらえません。そのため産・学の良さを合体し、さまざまな提案を行うことが重要です。また現場は、建築と土木のコミュニケーションが足りず、両者の工事の整合が取れていないケースも見受けられました。

私は、このような建築と土木の隙間が埋められるのは、海洋建築ではないかと思っています。津波対応や沿岸の街づくりは、建築だけでは絶対に成り立ちません。そこに必ず土木が必要であり、その接点に立つのが両方を知り得る海洋建築なのです。学生の皆さんには建築と土木をつなぐ担い手になれる可能性があり、私も含めた卒業生たちは、そうした仕事に全力で取り組む責務があると思います。皆さんは将来、この学科で学んだ知識を生かし、建築と土木の融合に尽力してください。そうすれば海に囲まれた日本の国土づくりは、必ず良い方向へ向かうものと思います。

東日本大震災復興都市モデル

「東日本大震災復興都市モデル」田老地区全体計画の図。河口近くの避難ビルと防災ブリッジにより垂直と横移動ができる。住宅群は斜面に設置。中央に地域創生のためのメガソーラ施設を設置。

コミュニケーションとリラックスは
知的生産性の向上に必須のポイント

大成建設技術センターの「クリエイティブ・ボックス」

大成建設技術センターの「クリエイティブ・ボックス」
(REPORT OF TAISEI TECHNOLOGY CENTER 2007 NO.40 より掲載)

先ほど建築と土木のコミュニケーションが不足していると言いましたが、当社の技術センターも同様で、かつては建築と土木のフロアが階層で分かれていました。リニューアル設計を担当した私は、建築と土木が対面するフロア構成に変え、建物の真ん中に建築と土木の社員が集まれる吹き抜け空間「クリエイティブ・ボックス」を設けました。そこは業務時間だけでなく、休憩中や昼食時にも自然と人々が集まり、コミュニケーションの場となっています。新たな発想も誘発でき、リニューアル後は論文発表数が1.7倍に増加し、一定の成果を出せたものと思っています。

横河電機の金沢事業所(本誌表紙)は新築設計でした。ここは自然豊かな環境にあるため、木々の緑を借景として建物のなかへ取り込むよう外観をガラス張りにし、池の光の揺らぎが差し込むリラックス空間をつくりました。

研究施設の場合、企業側に「社員の研究成果をもっと上げたい」という要求がありますから、それに対応する建築を設計するよう努力することが大切です。そして先に述べた「自由学園明日館」もそうでしたが、建物が完成した際、お客様が設計者と同じように喜んでくださることが仕事のやりがいですね。設計とは、お客様とともに良い建築をつくり上げることであり、結果としてお客様の課題が解決でき、さらに社会的に評価される建築ができれば最高です!


  • ※1 動態保存:建物を使いながら保存する意味であり、建築業界で初めて使われたのが「自由学園明日館」の事例。博物館展示は静態保存。
  • ※2 フランク・ロイド・ライト:アメリカ生まれの建築家(1867~1959)であり、世界屈指の巨匠とされる。
  • ※3 プレイリーハウス:ライト建築を代表するスタイル。建物の高さを抑え水平ラインを強調した建築物。草原様式。

2020.09.01

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