陸地から海中までの
連続した生態系再生を目指す
- 高山 百合子(たかやま ゆりこ)
- 大成建設株式会社 技術センター 土木技術研究所 水域・環境研究室 環境保全チーム 研究員 博士(工学) 技術士(建設部門)
失われた沿岸域環境を取り戻すために
研究者として果たすべき役割がある!
私は大成建設の技術センターに勤務し、土木技術研究所水域・環境研究室に所属しています。ここには海洋水理チームと、私が所属する環境保全チームがあります。環境保全チームでは、海の工事で排出される濁水や泥水などの水処理、環境に優しい建築資材の開発、建築工事により発生する粉じんや匂いなどの防止対策など、幅広い環境の問題に取り組んでいます。私はそこで海洋工事の支援業務として、流れや水質の解析業務と水域環境を保全するための技術開発に携わっています。ここ数年の研究テーマとしては、水域環境を保全するための海草移植技術の開発を進めています。また、解析や研究開発の業務を通して、支援できる水域環境の領域を広げることにも取り組んでいます。
過去に沿岸域環境が悪化した背景、また企業が環境再生・保全に取り組む意義
沿岸域の環境悪化については、高度成長期に埋め立てや直立護岸の建設が加速度的に進み、陸地から海へと続く、緩やかな沿岸域環境が急速に改変されたことがひとつの要因といえるでしょう。自然浄化が進むはずの沿岸域で富栄養化が進み、有機汚濁物質の堆積速度も上がったために環境悪化が進行しました。当時の開発スピードに、海の自然が追い付いていけなかったのだろうと私は思っています。
時代を経て現在の世の中では、失われた環境を取り戻す、残された環境を守る、環境を積極的に創出する、といった意識が高まっています。大成建設では『環境問題を考える。ゼネコンの責任は、重い。』というメッセージを打ち出し、業界の先頭に立って「人がいきいきとする環境を創造する」という企業理念を社会に発信しています。私も研究者として、環境の大切さを頭で思うだけでなく、実際に行動し、多くの人に環境再生や保全の大切さを伝えていきたいと思っています。「英虞湾再生プロジェクト」は、まさにそうしたことを体現してきた取り組みです。
リアス式の美しい海岸線をもつ英虞湾
干潟とアマモ場の再生で生物多様性を実現
英虞湾再生プロジェクトの概要
三重県志摩市の英虞湾は、日本有数の美しさを誇るリアス式海岸が有名であり、明治時代から真珠養殖が盛んに行われてきました。しかし、1960年頃から、真珠養殖に大きな被害を与えるような貧酸素水や赤潮が発生していました。大成建設では、1998年から3年間にわたり農林水産省による補助事業により、英虞湾を対象にした流れと水質の調査を行う機会がありました。この調査結果を題材に、英虞湾に関わる多くの方々と「英虞湾再生」について話し合い、2000年より地元真珠養殖業の若手メンバー、三重県、当社の3者によって、自然浄化能力の回復を目指した「英虞湾再生プロジェクト」の第一歩を踏み出すことになりました。そして、英虞湾では、この一歩をひとつの契機として、三重県を主体としたより骨太な生態系修復を目指した英虞湾再生プロジェクト(三重県地域結集型共同研究事業)が2007年まで続いていきました。
英虞湾は入り組んだ海岸線のため、閉鎖性海域となっています。そのため流れが湾の奥まで届かず、水の交換が発生しないために水質悪化が進行しやすいという特徴があります。また、陸上からの流入負荷に加えて、アコヤガイの排出物や養殖排出物※1が海への負荷にもなっていました(現在は負荷削減対策を実施)。時には貝を死滅させる赤潮が発生するなど、水質、底質の状態は非常に深刻でした。
さらに、自然浄化を担う干潟の消失も大きな問題でした。かつて英虞湾には、多くの干潟が存在していました。しかし明治時代になると、リアスの奥に潮止め堤防が造られ、海水の流入を締め切り、干潟を水田に転用する事業が進められたのです(現在はほとんどが休耕地化)。当時の食糧事情がそうした取り組みを優先させたのでしょう。私たち研究チームは英虞湾に残された干潟なども調査をし、まずは、生物がたくさん棲む干潟の再生を目指して実験を始めました。
干潟再生実験
当時の英虞湾に残っていた干潟には栄養分が少なく、生物も少ないという特徴がありました。そこで、栄養分を含む浚渫ヘドロ(以下、浚渫土)を利用することにしたのです。浚渫土は海や川、湖の底に溜まった堆積物です。これが溜まると水深が浅くなるため、航路や港湾では堆積物を浚う浚渫工事が必要になります。また浚渫土が水中で分解する際、多くの酸素を使うため、水が貧酸素状態に陥って生物が棲めなくなることから、漁場の環境保全事業として浚渫工事が実施されます。一方で、地上に出された大量の浚渫土は廃棄物となるため、埋め立てなどの処分をする場所が不足する問題がありました。やっかいな存在ですが、浚渫土には生物の栄養になる有機物も含まれているので、それを干潟に活用することにしたのです。
実験ではまず、水際の干潟に仕切板と土留潜堤で囲まれた5m四方の実験区を5区画設け、成分を変えた土をそれぞれに置きました(下写真)。土の種類は、①天然干潟(現地盤土で砂質土) ②浚渫土20% ③浚渫土50% ④養殖排出物50% ⑤浚渫土50%と透水杭※2として、②~⑤には現地盤土を混合し、それぞれ50cmの厚さで干潟に撒き出しました。その後は3カ月に1回のペースで泥を採取し、泥の成分がどう変化したか、底生生物がどれだけいるか、というモニタリング調査を3年間継続しました。
調査の結果
浚渫土を利用した泥っぽい干潟では、ゴカイ、ウミニナ、マメコブシガニ、アサリ、ハゼの稚魚など、いろいろな底生生物が順調に増加し、約1年で安定することがわかりました。浚渫土の混合率は20~50%の実験区で生物数が最大という結果です。この混合率をCOD換算※3すると3~8(mg/gDW)という数値になり、浚渫土を干潟材に用いるための最適な有機物混合量が指標化できました。これによって、干潟生物への栄養供給と有機物の酸化分解が同時にできる「資源循環型の干潟造成技術」が確立され、英虞湾以外の海域でも生物多様性の干潟が造れる、という結論に至りました。
海草移植の手法
われわれ研究チームが目指していたのは、干潟単体の再生ではなく、“陸地から海の中までの連続した生態系の再生”でしたから、干潟の沖に生えているアマモの再生にも着手することにしました。アマモ場は、幼稚魚の棲み家、生物が多く集まる蝟集効果、水質・底質の浄化機能、底質安定化機能など、さまざまな役割をもっているため、アマモ場を増やせば生態系の再生で大きな力を発揮するものと考えました。
当社らのグループが実施した手法としてはまず、天然アマモが生えている海中にヤシ製のマットを置きます。アマモは種で増えますから、種が自然にこぼれてマット上で発芽・定着し、芝生のような状態に育ちます。そのマットを引き上げ、アマモを増やしたい場所へ置く「移植工法」を開発しました。こうした簡単な手法であれば、地元の皆さんが継続して取り組んでくださり、アマモ場が「面」で増えれば環境再生が進むと期待しました。
地元ボランティアも活躍した実験活動
技術と研究成果を環境事業に活かしたい
人と共生することで再生する海の自然
こうした干潟・アマモ場の再生は、人の手が入って造られた場所であるため、メンテナンスが必要になる場合があります。1度に造れる面積も広くないため、時間やコストも必要です。課題は多くありますが、生物や生物が棲む場所、海草などを少しずつでも増やす努力を、世の中全体で行うことが重要ではないでしょうか。
実際の「英虞湾再生プロジェクト」は研究活動の位置付けでしたから、人手とコストを多くかけることができませんでした。そのため真珠養殖業者の方も、三重県の担当者の方も、みんなが胴付き長靴を履き、全員がプレイヤーという感じで泥にまみれた力仕事に臨みました。そして、プロジェクトの意義を知った市民がボランティアで大勢集まり、英虞湾の干潟を再生したい!という思いをもって、カキ殻拾いや泥運びに参加してくださったのです。大人と子供を巻き込み、協働の輪が広がった本プロジェクトは、当社としては異色の取り組みであり、私にとっても思い出深いものとなっています。
「里海※4」という言葉があるように、適度に人手が加わり、人と共生することで、環境が再生できる場所がたくさんあります。そうしたところに当社の技術や研究成果を投入し、地域の皆さんが集い、親しまれる水辺の環境を創造することが、私の仕事のやりがいであり目標です。英虞湾では今も海草移植の実験研究を継続しており、私は月1回のペースで、第2の故郷といえる海へ通っています。当時の仲間たちとは今も交流が深く、再生した干潟や元気なアマモ場を見に行くことが何より楽しく、うれしいと感じています。再生できた干潟はまさに『地図に残る仕事。』であり、今後も環境再生・保全のために頑張りたいと思っています。
- ※1 養殖排出物:真珠養殖の過程で大量に発生する廃棄物であり、アコヤガイに付着するフジツボなどが主な構成成分。有機物を多く含むため、底泥汚濁などの原因のひとつになる。
- ※2 透水杭:実験では多孔質コンクリートの透水杭を打ち込んだ。透水杭の設置は、地盤の透水性を高め、干潟を好気的にし、有機物の酸化分解を促進させることを目的とした。
- ※3 COD換算:化学的酸素要求量(Chemical Oxygen Demand)。海域と湖沼の環境基準に用いられる水質の指標で酸素消費量ともいう。数値が高い程、汚濁が進行していることを示す。
- ※4 里海:人手が加わることにより、生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域のこと(環境省・里海ネットより)。
2014.04.01